写真は◯◯である。て話
- fx tombo
- 2018年1月16日
- 読了時間: 2分
言葉は否定が入るともっともらしく聞こえたりします
写真界隈でよくあるのは
写真は知識じゃない
とか
技術じゃない
機材じゃない
というちょっと具体的なところもあれば、
写真は芸術じゃない
とか
デジタルは写真じゃない
とか
もう数多くの
◯◯は🔲🔲じゃない
が氾濫しています
でも
その反面、
写真は◯◯である
と言い切る人は多くありません
なぜか
いくつか要因はあるとおもいますが、
そもそも多様性があるわけで、
そんなのひとつに絞れないから
とか
もともとそれほど考えてない
とか
ただのひねくれ屋で否定しかできない
とか
何でもよいですが
聞き方を変えるとして
あなたにとって写真とはなんなの?
と言うときに
◯◯は🔲🔲じゃない
という答え方はおかしくなるのは確かでしょう
ちょっと思い返してみてください
思春期や青春時代
※今真っ只中のかたもいるかもだけど
こんなこと聞いたことありませんか
人は何のために生きてるの?
わたしは個人的な仕事柄、この質問をよく受けます
みなさんは、なんて答えますか
子供達を一番失望させる回答はなんだとおもいますか
もっともダメな答えは
それを探すために生きてるんだよ
です
要は
その年でなんもないんじゃないか(笑)
てことですね
もちろん
わたしもずいぶん悩みましたが
この事に対する答えは持っています
写真は
個人的にはそこまで大きなテーマとしてではないかもしれませんが、
なぜ撮るのか
何を撮りたいのか
そもそも写真とはなんだと思っているのか
については、よく考えます
個人的なことをいえば、
写真は哲学です
先ほどちょっと触れた
人は何のためにいきるのか
愛とはなんなのか
希望とはなんなのか
許しとはなんなのか
それを言葉で言うこともできますが
別の表現手段として写真があります
過去
たくさんの写真にまつわるエピソードがありました
自分自身が
写真の日
の誕生日であることもつい最近知りました
写真の力なんて言うものは
ほとんどないのは言わずもがなですが、
あまり適当な他者批判や
妙なグループ化を目にしたり
耳にすると
何のために写真やってんだろ?
と思ってしまう
未熟さも自身の内にあるわけです
あまり
妙な色使いや
個人的な趣向の加工をしないのはそういう考えからです
基本的には
被写体さんの持っているもの
にあまり手を加えたくなく
加えるとしたら
言葉の代わりにするもの
という感じかなあ
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